今朝、三条大橋のカワヅザクラがほぼ満開でとてもきれいでした。その光景をブログにアップしました→https://kyoto-taketo.com/2021/03/01/plante-39/
しかし…
その桜の下には、ゴミがいっぱい落ちていたのです。
以下の文章↓↓↓は、ストレートな言葉、耳障りの悪い言葉も使っています。正直に僕の気持ちを綴っています。僕は怒りました。お読みいただいた時、気分を害してしまいましたら、本当にごめんなさい。あらかじめお伝えをさせていただきます。
昨日は日曜日というのもあってか、誰かが花見をしたのでしょう。しかもグループで宴会でもしたかのようでした。
お酒の缶やつまみのパッケージ、タバコの吸い殻… 捨てっぱなしにしてありました。汚かった…。
むかつきました!
悲しかった!
折角、きれいなカワヅザクラを見に来たのに、そのゴミたちを見て、気分が半減してしまいました。残念です。僕は、感受性が豊か(HSPです)なので、ネガティブな感情を感じると「半日」は引きずってしまいます(逆にポジティブな感情も「半日」楽しめるのですが)。ですので、自分の心を整えるため、そして、誰かに伝えたかったため、このブログ記事を書いています。
ネガティブになった半日を返せ!迷惑なんじゃ!!!
その時、僕もゴミ袋や火ばさみを持参していなかったので、それらのゴミを拾いませんでした。そんな自分を不甲斐なくも思いました。
近くの警察に行って、状況は説明しました。警察がどうにかしてくれると思ったわけではありません。ただ、誰れかにそのやるせない気持ちを聞いて欲しかったのです。警察曰く、ボランティアの人たちが巡回しているから拾ってくれるだろうということでした。
そのボランティアの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
なぜ、自分たちのケツを自分でふけないのかな?
今日からコロナによる「緊急事態宣言」は解除されました。また町にも活気が戻ってくるのでしょうか?「緊急事態宣言」中は、夜、8時以降、「鴨川での外飲み」がはやりました。(今日以降もそれは続くのでしょうか?)それに伴い、自分たちで飲み食いして出た「ゴミ」もあったはずです。ほとんどの人たちは自ら持って帰って処分したことだろうと思います。
でも、一部の人たちは、ゴミをほったらかしにしています。持って帰るという発想がないのでしょうか?あまりにも日常でストレスがたまりすぎて、そんな「楽しい場所」で思いっきり発散して、はいそれっきりって感じなのでしょうか?もしそうなら、あまりにも自分勝手すぎないでしょうか?
こういう人たちは、同じことをお寺や神社のような「神聖な場所」でするでしょうか?おそらくその数はだいぶに減るというか、ほとんどないと思います。
それは、「罰が当たる」という思いが伴うのだと思います。
街中で「ゴミを捨てたら」罰は当たらないのでしょうか?僕は、「ゴミを捨てた人たち」にその行為のツケがかえってきてほしいと思います。最終的には、自分たちのケツを自分でふくはめになってほしいと思います。「罰は当たる」と思いたい。「街中」でも。
一方、そんな「ゴミを捨てた人たち」にも恋人がいて、家族がいて、子供はいるのでしょうか?おそらくたいていは「いる」気がします(違うかもしれませんが…)。そんな濁った心を持った人たちが幸せでいる、そんな「人」や「社会」の理不尽さと不条理を感じてしまいます。
僕はそんな人たちに今回間接的にゴミを通して出会ってしまいました。
僕の中にある、「怒り」を感じました。その「怒り」の裏には「悲しさ」がありました。僕はそんな人たちのことはどうでもいいです。僕の人生には全く関係ありません。しかし、関係ないのにもかかわらず僕の気持ちは乱れました。たまりません。
僕は、日常的にボランティアで川沿いのゴミを拾っています。それは、改めて、いつも感動をくれる自然への感謝の気持ちでやっているつもりです。決してそんな人たちのケツをふいているわけではありません。
自然はそんな僕に優しく「お礼返し」をしてくれます。今日も出会った「カワセミ」やいろんな動植物。光に輝く美しい川面。吹く風のここちよさ。などなど。僕は、このことにより意識を集中したいと思います。僕は、いつも「美しい自然」を見たい。ただそれだけなのです。僕の幸せの一つです。
僕の幸せの邪魔だけはしないでほしいと、切に願います。
京都にて。
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