京都・二条城に一本のアオギリ(アオイ科)が生えています。
ガイドの仕事で今まで何十回も訪れた二条城。コロナで仕事がなくなってから早1年8カ月。久々に二条城の東大手門をくぐりました。
それは、今日8月6日の今日、広島で被爆した「アオギリ」の子孫を紹介したかったからです。
久々に見ました。一目で、ずいぶん大きくなったのがわかりました。感動しました。今、生きています。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾が広島の街に投下されました。
多くの、多くの方が、一瞬で命を奪われました。そしてこの年の終わりには、14万人の方々がこの世を去ることになります。
被爆したのは、人だけではありません。そこにいたあらゆる命、あらゆる建物、ピアノや物たち、そして空や大地や川や海も。
広島平和記念公園内に生息する「アオギリ」もその一人。原爆の熱線と熱風で大やけどを負いながらも生き長らえました。
その子孫は全世界に植樹され、現在も「命」や「平和」の大切を今生きている私たちに伝えています。そして、これからも。
二条城の「被爆アオギリ」は2013年に植樹されました。同じ年に、フランスのマラコフというところにも「被爆アオギリ」が一本植樹されたそうです。
【アオギリのうた】
Le chant d’Aogiri
Cette chanson a été écrite et composée par une fille de Hiroshima à troisième année de l’école primaire (9 ou 10 ans alors ) en 2000. L’année 2000, la municipalité de Hirohima a mis ” chanson d’Hiroshima ” au concours pour la commémoration du millénaire. Et, cette chanson a été séléctionnée en tant que Grand Prix. Dans cette chanson, le souhait de la paix et l’amour de Hiroshima sont chantés. A la fin des paroles de cette chanson, est chanté ” Hiroshima souhaite juste une chose, c’est les sourires des gens du monde entier “. Moi aussi, je souhaite cela. J’ai pleuré quand j’ai écouté cette chanson. Dans la vidéo (lien ci-dessous), c’est elle même qui a crée cette chanson apparaît ! En ce moment, elle est devenue adulte, et elle est devenue chateuse professionnelle. Elle s’appelle MORIMITU Nanase :Instagram→ https://www.instagram.com/nanase_8585/
森光七彩(もりみつななせ)さんは、小学校2年生の時、この「アオギリのうた」を作詞・作曲しました。
広島市が2000年に、ミレニアム事業として、「広島の歌」を公募、グランプリを受賞したが、この曲でした。
「平和への思い」、「広島への愛」がストレートに伝わってきました。僕はこの曲を聴いて、泣きました。
曲の最後に 「広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔」と歌っています。
僕も、みんなが明るく笑える世界が、いいです!
「アオギリのうた」(歌詞)
電車にゆられ 平和公園 やっと会えたね アオギリさん 小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで 家ぞくがふえたんだね よかったね
遠いむかしのきずあとを 直してくれるアオギリの風 遠いあの日のかなしいできごと
資料館で見た 平和の絵 いろんな国の 人々や 私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます あらそいのない国 平和の灯(ひ)
遠いむかしのできごとを わすれずに思うアオギリのうた これから生まれてゆく広島を大切に
広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔
【アオギリの語り部】
Il y avait une femme de Hiroshima qui s’appelait NUMATA Suzuko. Elle perd un pied et le moral après avoir irradié. Mais, elle décide de vivre quand elle voit un Aogiri irradié bourgeonner de nouveau. Par la suite, elle a consacré sa vie pour communiquer le drame d’Hiroshima et le respect de la paix en faisant des conférences avec une grande énegie.
Il y a un film dont le thème est la vie de NUMATA Suzuko. On ne peut pas voir ce film sur DVD. Mais si on souhaite jouer ce film au public, on pourra louer ce film.