今日は朝から暑いくらいのいいお天気になりました♬
昨日より順延された葵祭の「路頭の儀」が行われました。
4年ぶりに行われた葵祭。僕は何度も見てますが何度見ても感動します。平安装束を身にまとった行列。色鮮やかでキレイでした!
京都御所を出発した行列は下鴨神社、そして鴨川沿いを行き、上賀茂神社まで行きました。行程約8㎞。
いたるところでたくさんの人が見学に来ていました!見学客は約40000人だったそうです。
行列の長さは約1㎞。先頭から最後尾が通過する時間は約1時間。人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などで構成される「大行列」でした♬
路頭の儀の行列は「近衛使代列(このえつかいだいれつ)」と「斎王代列」があります。「近衛使代列」の後に「斎王代列(女人列)」が続きました。
Aujourd’hui, j’ai vu la procession du festival d’Aoi. Le festival d’Aoi, on dit que c’est la plus ancienne fête du Japon qui a commencé il y a envrion 1500 ans (en 567). C’est la fête shinto du sanctuaire Kamigamo jinja et celui Shimogamo jinja à Kyoto. C’est la fête dans laquelle on prie la divinité pour la bonne récolte des produits agricoles. Lors de cela, le messager de l’empereur salue la divinité et lui fait une offrande. Car à l’époque, on souffrait de manque de récolte à cause du mauvais climat. On y croyaient que c’était à cause de la malédiction de la divinté. L’empereur de l’éqoque a ordonné de faire une fête pour apaiser la divinité. Après avoir fait cette fête, le climat a été adouci et on ne souffrait plus de famine. Depuis, le 15 mai (mais, il y avait quelques années d’absences à cause des guerres) le festival d’Aoi a lieu à Kyoto.
Dans le festival d’Aoi, on fait la procession. Cette profession part devant le palais impérial de Kyoto et fini au sanctuaire Kamigamo jinja en passant Shimogamo jinja. On marche au total environ 8 km. La procession est composée d’environ 500 personnes, envrion 40 chevaux, 4 bœufs, deux chars tirés par les bœufs et un planquin.
Aujourd’hui, il paraît qu’il y avait environ 40 000 visiteurs pour voir ce festival.
京都府警の平安騎馬隊(へいあんきばたい)が行列を先導警備しました。
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10時半出発。京都御所は華やかでした。上皇ご夫妻もご観覧されたそうですね♬
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L’empereur retiré et son épouse qui venaiant à Kyoto a assisté au festival dans le parc du palais impérial de Kyoto.
Article concerné : 葵祭前日 ‐ 上皇后美智子様との思い出 – 京都御苑 | Taketoの京都ブログ Ma vie à Kyoto (kyoto-taketo.com)
乗尻(のりじり)が先頭を行きました。
ひと際大きな牛車が目につきました。藤の飾りがきれいでした。
斎王代も行きました。葵祭のヒロイン♫
北大路橋を渡る行列。遠くの五山の送り火の大文字山が見えました。
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加茂街道をゆく斎王代。北大路橋から北はケヤキ並木になっています。このケヤキ並木が新緑に覆われ、心地いい木陰になっていて、とても気持ちがよかったです。
斎王代の後には騎女(むなのりおんな)が行きました。彼女たちは斎王代の巫女(みかんこ)だそうです。馬に乗れる巫女さんって、天皇の娘さん(斎王)に仕える身分の高いお方だったんでしょうね(と思います)。
「斎王代列」の最後を飾る斎王代の牛車。高級女官の女房が乗るもので、十二単衣の袖が牛車からのぞいている、らしいのですが、僕はその袖がどれかわかりませんでした。どうもこれが路頭の儀の見どころの一つなんだそうですが…。
【葵祭とは?】
今から約1500年前(567年)に始まった。日本で最古の祭りといわれる。五穀豊穣を願うお祭り。
「賀茂の大神」を祀る、上賀茂神社と下鴨神社の祭り。上賀茂神社と下鴨神社を合わせて「賀茂神社」という。
その頃、天候不順のため作物がとれなくなり、人民が苦しんでいた。これは「賀茂の大神の祟り」のせいだとされた。
「賀茂の大神の祟り」を鎮めるため祭りをしたところ、天候も回復し、作物も実った。その祭りが「葵祭」の起源。
以来毎年祭りは行われた。最初は「賀茂祭」と呼ばれた。「葵祭」と呼ばれるようになったのは江戸時代中期。「賀茂祭」で葵の葉を身につけたり社殿に飾っていたため。
なぜ「葵」なのかというと、「葵」は賀茂神社のご神紋だから。上賀茂神社のご祭神が「葵と桂を編んでお祀りすれば私に会えるだろう」というお告げがあったため「葵」が賀茂神社のご神紋になった。
【路頭の儀とは?】
天皇のお使いである「勅使」とそのご一行が京都御所を出発し、下鴨神社そして上賀茂神社へ行く道のりを「路頭の儀」という。
現在の「路頭の儀」は当時の様子を忠実に再現している。
勅使は賀茂神社で「社頭の儀」を行う。この儀式が葵祭で一番重要な儀式。勅使が賀茂の大神に挨拶(御祭文)やプレゼント(御弊物:ごへいもつ)をする儀式。
【斎王代とは?】
「斎王」の代わりなので「斎王代」。「斎王」とは、賀茂神社および伊勢神宮に巫女として奉仕した未婚の皇族女性のこと。「斎王」が生まれたきっかけは、父親である天皇の「戦勝祈願」。「勝ったら娘を奉仕させる」と神に誓ったことから生まれたそう。
葵祭では1956年に「斎王代」として復活(それまでは斎王が参加した時期、しなかった時期があった)。
斎王代は京都府出身の未婚女性から選ばれる。選考基準などは非公開。今年の斎王代は第65代。
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