平和への祈りを込めて
今日は「広島に原爆が落とされた日」です。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾が広島の街に投下されました。
多くの命が、一瞬で消えました。そしてこの年の終わりには、14万人の方々がこの世を去られました。
そして今も多くの「被爆者」の方が苦しんでおられます。
全国被爆者数:11万8935人、平均年齢:84.53歳(2022年3月末時点)
【二条城の被爆アオギリ】
被爆したのは、人だけではありません。そこにいたあらゆる命、あらゆる建物、ピアノや物たち、そして空や大地や川や海も。
広島平和記念公園内に生息する「アオギリ」もその一人。原爆の熱線と熱風で大やけどを負いながらも生き長らえました。
その子孫は全世界に植樹され、現在も「命」や「平和」の大切さを今生きている私たちに伝えています。そして、これからも。
二条城の「被爆アオギリ」は2013年に植樹されました。同じ年に、フランスのマラコフというところにも「被爆アオギリ」が一本植樹されたそうです。
今朝、その二条城の「被爆アオギリ」を見て来ました。去年よりも大きくなったように見えました。そしてたくさんの実をつけていました。
被爆アオギリは京都の地でも「命と平和の大切さを後世に伝え続けています」。
【向島中央公園の被爆アオギリ】
京都市伏見区の「向島中央公園(むかいじまちゅうおうこうえん)」にも「被爆アオギリ」が生えていました。
「生えていた」のですが、誰かに根こそぎ抜かれて、今は姿がありません。
今年の5月29日、再植樹されました。「再植樹」。そうです、その日以前にも枝が折られ無残な姿になったそうです。そして、再植樹された被爆アオギリは、その後すぐに誰かによって抜かれてしまったそうです。
2回の被害にあっています。
本当に残念です。
何を思ってか知りませんが、平和のメッセージである「被爆アオギリ」の枝を折ったり、引っこ抜いたり、そんなことが、人として、なぜできるのか、信じられません。
関係者の方もがっかりされていた様子でした。
それでも原爆投下の日時には、その今は姿がない「被爆アオギリ」の前で祈りを捧げるとおっしゃっていました。
【アオギリのうた】
Le chant d’Aogiri
Cette chanson a été écrite et composée par une fille de Hiroshima à troisième année de l’école primaire (9 ou 10 ans alors ) en 2000. L’année 2000, la municipalité de Hirohima a lancé le concours sur ” la chanson d’Hiroshima pour la commémoration du millénaire. Et, cette chanson a été séléctionnée en tant que Grand Prix. Dans cette chanson, le souhait de la paix et l’amour vers Hiroshima sont chantés. A la fin des paroles de cette chanson, est chanté ” Hiroshima souhaite juste une chose, c’est les sourires des gens du monde entier “. Moi aussi, je souhaite cela. J’ai pleuré quand j’ai écouté cette chanson. Dans la vidéo (lien ci-dessous), c’est elle même qui a créé cette chanson apparaît ! En ce moment, elle est devenue adulte, et elle est devenue chateuse professionnelle. Elle s’appelle MORIMITU Nanase :Instagram→ https://www.instagram.com/nanase_8585/
森光七彩(もりみつななせ)さんは、小学校2年生の時、この「アオギリのうた」を作詞・作曲しました。
広島市が2000年に、ミレニアム事業として、「広島の歌」を公募、グランプリを受賞したのが、この曲でした。
「平和への思い」、「広島への愛」がストレートに伝わってきました。僕はこの曲を聞いて、泣きました。
曲の最後に 「広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔」と歌っています。
僕も、みんなが明るく笑える世界が、いいです!
下の動画↓↓↓の方は、森光七彩さんご本人です。今は広島でMCやシンガーソングライターとしてご活躍されているそうです。
関連リンク:ミルミルひろしま (mirumiru-hiroshima.com)
「アオギリのうた」(歌詞)
電車にゆられ 平和公園 やっと会えたね アオギリさん 小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで 家ぞくがふえたんだね よかったね
遠いむかしのきずあとを 直してくれるアオギリの風 遠いあの日のかなしいできごと
資料館で見た 平和の絵 いろんな国の 人々や 私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます あらそいのない国 平和の灯(ひ)
遠いむかしのできごとを わすれずに思うアオギリのうた これから生まれてゆく広島を大切に
広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔
【アオギリの語り部】
Il y avait une femme de Hiroshima qui s’appelait NUMATA Suzuko. Elle perd un pied et le moral après avoir irradié. Mais, elle décide de vivre quand elle voit un Aogiri irradié bourgeonner de nouveau. Par la suite, elle a consacré sa vie pour communiquer le drame d’Hiroshima et le respect de la paix en faisant des conférences avec une grande énegie.
Il y a un film dont le thème est la vie de NUMATA Suzuko. Il semble que l’on ne peut pas vendre le DVD de ce film. Mais si on souhaite jouer ce film au public, on pourra louer ce film.
沼田鈴子(1923-2011)さんという一人の女性の方がおられました。
原爆で片足を失い、生きる気力を失った時、同じように被爆したアオギリに出会います。
そのアオギリが芽を出し、再び生きていく姿を見て、ご本人も生きる気力を持ったそうです。
生涯、広島のことを語り、平和活動をされた方です。
沼田鈴子さんの生涯をテーマにした「アオギリにたくして」という映画があります。
この映画のDVDは一切発売も配布もしていないそうです。
でも、自主上映という形で見ることはできるようです。今は、ZOOMオンライン上映会もやっているそうです。上映会の一つ一つが平和の種まきになることを願いながら。
関連リンク:映画「アオギリにたくして」公式WEBサイト – たくさんの子どもたちに被爆体験を語り感銘を与えてきた、被爆者の故・沼田鈴子さんをモデルに被爆者の数奇な人生を描いた作品です (aogiri-movie.net)