鴨長明(かものちょうめい:1155-1216)が晩年住んでいた場所に行ってきました!
醍醐寺の南、日野山の中にその場所はありました。
今は、彼の家「方丈庵」が建っていた土台の岩だけが残っていました。
写真↓↓↓の岩が方丈庵の土台だそうです。
訪れた人がくつろげるよう、その岩の上に、木のベンチが設置されていました。
長明の家「方丈庵」のレプリカ↓↓↓が、下鴨神社摂社・河合神社の境内にあります。
「方丈庵」は文字通り、1丈(3.03m)四方の小さなお家です。面積は、だいたい四畳半くらいですね。
この「方丈庵」が、その岩の上に建っていたみたいです。
組み立て式なので移動できるお家です。長明は部材をそこまで運んで組み立てたのでしょうね。
「方丈庵」のブログ記事はこちら→ミニマリストの達人の家 鴨長明「方丈庵」 河合神社 | Taketoの京都ブログ Ma vie à Kyoto (kyoto-taketo.com)
鴨長明は、平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた、歌人でありエッセイストです。長明は、下鴨神社の一番偉い人(禰宜:ねぎ という偉い神職)の次男として京都で生まれました。
地位もお家柄もいいところの「おぼっちゃまくん」だったのですね。
でも彼の人生は、思うようにいかないことだらけでした。
例えば、父の跡を継いで神職になりたかったのですが、なれず。
その後祖母のお家で30歳までニート。でも結局追い出され、自分のお家を建てます。その時のお家は「方丈庵」の100倍の広さだったとか。
49歳で出家。世捨て人となります。そして、住むところを転々とした後、54歳の時、日野山に住みます。
57歳の時、この地で「方丈記」を書きます。
62歳で亡くなります。
8年くらいこの日野山の「方丈庵」に住んでいたのですね。
実際、方丈庵のあった場所に行ってみた感想は、
「よくこんなところに1人で住んでいたよな!」です。
方丈記(解説本)を読んで、僕は、長明のことを「強がりな人」っていう印象を受けました。
というのは、エリートの家に生まれた彼は、結局社会から見放されるわけです。
でもそんな彼を見放した人たちや社会に対し「俺、今、山奥で最高に幸せに生きてるぜ!全ての執着を捨てて自由だぜ!うらやましいだろ、へへ」みたいなことを言いたいがために、山奥に住んでのかなって思ったからです。
でも、8年、山奥って…。それを言いたいためには、あまりにも長すぎると思いました。
実際、彼の住んでいたところに行ってみて、僕は絶対無理って思いました。せいぜい3日くらいいれたらいい方だと思ました。
でも、長明は、この終の棲家「方丈庵」が居心地が良かったのだと思います。
「方丈庵」の下には水が流れ、食べ物はふもとから人々が届けてくれたそうです。ふもとは「方丈庵」からそんなに遠くないところにあります。
長明が生きた時代、京都は大きな地震や火事、飢饉などに見舞われ、多くの人が苦しんでいました。
人々が折角手に入れた財産や幸せ、地位なども、自然の脅威で一掃されたわけです。
長明はそんな苦しむ人たちを目の当たりにします。
彼自身もエリートの家に生まれながらも、結局、社会から見放されてしまいます。
そんな彼が行きついた「山奥の隠遁生活」には、必要最低限な物で幸せに生きる生活があったようです。
物や地位に執着せず、「心の思うままに生きる」人生。
彼は出家しながらも大好きな「琵琶」や「和歌」をたしなむ毎日だったそうです♬
「修行で悟って得る自由」より「今自分がしたいことに正直に生きる自由」を選んだ彼は、なんて人間らしいんだって思いました。
朝の8時ころに「方丈石」に着きました。
そこにはすでに二人のおっちゃんが、楽しそうにおしゃべりをしていました。
なんでも、30年、40年毎日この「方丈石」まで登ってきているそうです。
1人のおっちゃんは「みやもとしゅうめい」さんという75歳くらいの方でした。
ずーと笑って、「すべらない話」を披露してくれて、ほんまに人生楽しんでいるような方でした。
さんまさんの番組でも「こんな元気なお年寄りがいる!」ということで出演したそうです。その時の動画も見せてくれました。
もう一人のおっちゃんが、崖から滑り落ちたのですが、その時もケタケタ笑っていました。落ちたおっちゃんも全く無傷で、落ちることに慣れているようでした。
そのおっちゃんたちは、人生を「笑い飛ばしている」ようでした。
「許しの名人」だと思いました。自分のことも、他人のことも、社会のことも、みんな許して、笑い飛ばしているようでした!
長明もきっと、このおっちゃんたちのように毎日を「笑い飛ばして」生きていたのかなって思いました。
その「方丈石」で一緒に笑っている長明がいたように感じました。
日野山・方丈石にて。
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