今日5月15日は京都三大祭りの一つ「葵祭」の日でした。その中の「路頭の儀」を見学に行ってきました。沿道には多くの見学客が来ていました。外国の方もたくさん来ていました♬
平安時代の装束で行く行列。昔の人たちはこんな格好をしていたんですね。僕は毎年見てますが、何度見ても興味深いです。行列にはいろんな役割の人がいてそれぞれ衣装の色や形などが違います。僕はまだ全部は把握していません。知れば知るほど面白い世界だと思いました。
Aujourd’hui, je suis allé voir la procession du festival d’Aoi. Il y avait beaucoup de visiteurs (y compris beaucoup de touristes étrangers) qui venaient de la voir !
Le festival d’Aoi, on dit que c’est la plus ancienne fête du Japon. Il a commencé il y a envrion 1500 ans (en 567). C’est la fête shinto du sanctuaire Kamigamo jinja et celui Shimogamo jinja à Kyoto. C’est la fête dans laquelle on prie la divinité pour la bonne récolte des produits agricole et pour la paix du monde. Lors de cela, le messager de l’empereur salue la divinité et lui fait une offrande. Car à l’époque, on souffrait de manque de récolte à cause du mauvais climat. On y croyaient que c’était à cause de la malédiction de la divinté. L’empereur de l’éqoque a ordonné de faire une fête pour apaiser la divinité. Après avoir fait cette fête, le climat aurait été adouci et on ne souffrait plus de famine. Depuis, le 15 mai (mais, il y avait quelques années d’absences à cause des guerres) le festival d’Aoi a lieu à Kyoto.
Dans le festival d’Aoi, on fait la procession. Cette profession part depuis le palais impérial de Kyoto et fini au sanctuaire Kamigamo jinja en passant par Shimogamo jinja. L’itinéraire fait environ 8 km. La procession est composée d’environ 500 personnes, envrion 40 chevaux, 4 bœufs, deux chars tirés par les bœufs et un planquin.
葵祭のヒロイン「斎王代(さいおうだい)」です♪
「路頭の儀」は、天皇のお使いである「勅使」とそのご一行の行列が京都の町を行く儀式です。行程は、京都御所を出発し、下鴨神社そして上賀茂神社までの約8㎞です。
行列の長さは約1㎞。人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などで構成されるます。先頭から最後尾が通過する時間は約1時間かかる大行列です。
1500年前に始まった日本最古といわれるお祭り「葵祭」。「路頭の儀」ではその当時の行列を忠実に再現しているそうです。
路頭の儀の行列は「近衛使代列(このえつかいだいれつ)」と「斎王代列」があります。「近衛使代列」の後に「斎王代列(女人列)」が続きます。
「斎王代列」の最後を飾る斎王代の牛車。高級女官の女房が乗るもので、十二単衣の袖が牛車からのぞいている、らしいです。僕はその袖がどれかわかりませんでした。どうもこれが路頭の儀の見どころの一つなんだそうですが。去年は見つけられなかったので今年はと思い探しましたが、見つかりませんでした。
行列と並行して路線バスも運行していました。現代と昔の乗り物の比較の図。なんだか面白かったです。
近衛使代(このえつかいだい)。馬に乗っているこの方が祭りで一番位の高い人です。勅使(天皇が派遣する使者)の代わりの人です。お馬さんには銀面を被らせています。
【葵祭とは?】
今から約1500年前(567年)に始まった。日本で最古の祭りといわれる。五穀豊穣を願う祭り。
「賀茂の大神」を祀る、上賀茂神社と下鴨神社の祭り。上賀茂神社と下鴨神社を合わせて「賀茂神社」という。
その頃、天候不順のため作物がとれなくなり、人民が苦しんでいた。これは「賀茂の大神の祟り」のせいだとされた。
「賀茂の大神の祟り」を鎮めるため祭りをしたところ、天候も回復し、作物も実った。その祭りが「葵祭」の起源。
以来毎年祭りは行われた。最初は「賀茂祭」と呼ばれた。「葵祭」と呼ばれるようになったのは江戸時代中期。「賀茂祭」で葵の葉を身につけたり、社殿に飾っていたため。
なぜ「葵」なのかというと、「葵」は賀茂神社のご神紋だから。上賀茂神社のご祭神が「葵と桂を編んでお祀りすれば私に会えるだろう」というお告げがあったため「葵」が賀茂神社のご神紋になった。
【路頭の儀とは?】
天皇のお使いである「勅使」とそのご一行が京都御所を出発し、下鴨神社そして上賀茂神社へ行く道のりを「路頭の儀」という。
現在の「路頭の儀」は当時の様子を忠実に再現している。
勅使は賀茂神社で「社頭の儀」を行う。この儀式が葵祭で一番重要な儀式。勅使が賀茂の大神に挨拶(御祭文)やプレゼント(御弊物:ごへいもつ)をする儀式。
【斎王代とは?】
「斎王」の代わりなので「斎王代」。「斎王」とは、賀茂神社および伊勢神宮に巫女として奉仕した未婚の皇族女性のこと。「斎王」が生まれたきっかけは、父親である天皇の「戦勝祈願」。「勝ったら娘を奉仕させる」と神に誓ったことから生まれたそう。
葵祭では1956年に「斎王代」として復活(それまでは斎王が参加した時期、しなかった時期があった)。
斎王代は京都府出身の未婚女性から選ばれる。選考基準などは非公開。今年の斎王代は第66代。