昨日京都府立植物園で、スズメの親子を見ました。
巣立ったばかりでしょうか?幼鳥に親鳥がエサをあげていました。
幼鳥も親鳥を見様見真似でエサをがんばって採っている様子でした。
でもあんまり上手ではなく、結局親鳥に大きな口を開けて「エサちょうだ~い」をやっていました。
幼鳥は親鳥の仕草を真似ながら大人になってゆくのでしょうね。
Hier, dans le jardin botanique de Kyoyo, j’ai vu le parent et enfant de moineau. Il semble que l’oisillon vient de quitter son nid. Il essayait de prendre de la nourriture par terre en imitant son parent, mais pas encore bien y arrivé. Donc enfin, il lui demandait de la nourriture en ouvrant grand son bec. Le geste du oisillon, c’était tout mignon ♫
【子供時代は ” 子供を思いっきりやったほうがいい “】
幼鳥は全力で「子供」をしていました。何一つ遠慮することなく、思いっきり親鳥に甘えている様子でした。
親鳥は幼鳥の甘えに応え、一生懸命エサと「愛」を与えているようでした。
「愛されること」を知った幼鳥は、成鳥になったら親がしてくれたように「愛すること」を自分の雛にするのでしょうね。
「愛」はこうやってバトンタッチされてゆくんだなって思いました。
一方、子供時代に十分親に甘えられなかった子供は、大人になっても「子供」でいることがあるようです。
あっこれは、人間という生き物の話です(でも他の生き物でも同じことがありそうな気はするな~)。
大人になっても、親から得られなかった「愛」を他人からもらおうとすることがあります。
でも「他人」は親ではありません。思ったような「愛」を他人からもらえるとは限りません。
そんな大人は生きづらさを感じるようです。
僕自身も正直「他人」から愛をもらおうという傾向があります。僕もそんな生きづらさをかかえている大人の一人です。
でもね、
親からもらえなかった愛は「他人」からはもらえないんです。だって「他人」は親ではないのだから。それは無理な話なんです♪
でもその代わり「自分で自分を愛してあげる」ことはできます。なにより一番身近な人間、死ぬまで一緒な人間って「自分」だけです。
そして「自分には自分を愛してあげる力」がすでにあるんです(信じられない方もいるかもしれませんが)。
最近僕は、自分で自分をハグしています。特にしんどい時、肩や頭、首筋を自分でなでなでしています。「今、生きててくれてありがとう。よくここまで生きてきてくれたね」って声をかけながら。
これがね、思った以上に落ち着くんですよ♪
Dans l’enfance, il faudrait se montrer câlin auprès des parents comme on veut comme l’oisillon de moineau ! Sinon, après être devenu adulte, il arrive que l’on continue de demander d’aimer comme les parents aiment les enfants aux autres. Mais les autres ne peuvent pas donner l’amour aux demandeurs comme les derniers veulent l’amour de ses parents. A la place, nous pouvons nous aimer nous-même. D’après moi, je me caresse la tête, les épaules ou le cou. Cela m’apaise bien !