東山界隈、柳と白川が美しい風景の中に、一軒の和菓子屋があります。
「餅寅(もちとら)」です。
明治の初め、餅屋から始まったので「餅寅」という屋号なのだそうです。
【光秀まんじゅう】
この和菓子屋の名物が「光秀まんじゅう」です。
光秀まんじゅうの「光秀」とは、明智光秀(1528ころ~1582)のことです。
「光秀まんじゅう」には2種類あります。
写真↓↓↓左が「抹茶・京風白みそあん」、右が「黒糖・つぶあん」です。価格はどちらも180円(税込)です。
どちらも明智家の家紋「桔梗紋」が入っています♬
・「抹茶・京風白みそあん」:白みそを混ぜた餡子が抹茶味の皮に包まれた饅頭。
味噌の塩味と餡の甘さ、抹茶の渋みが混じり合い、なんだか合わなさそうな組み合わせですが、これがまた美味しかったです!
口の中で混ざる味は結構上品でした。
「白味噌」を和菓子に使うあたりが京都風ですね♬
・「黒糖・つぶあん」:粒あんと黒糖味の皮に包まれた饅頭。
渋いお茶が飲みたくなりました。黒糖独特の甘さと粒あんがよく合い、とても美味しかったです。
【明智光秀がなぜここに?】
なぜこの和菓子屋で、「光秀」という名の和菓子を販売しているのかというと、和菓子屋の裏に「光秀の首塚」といわれる祠↓↓↓があるからです。
首塚というくらいですから「光秀の首」が埋められているらしいです(諸説あるようです)。
光秀が本能寺の変(1582年)で、織田信長を自害させ「三日天下」を取ったことは有名ですよね。
実際は、光秀の天下は11日くらいだったそうですが。
この光秀を最期自害に追い込んだのは豊臣秀吉でした。
「山崎の戦い(1582年)」の戦いで羽柴軍(後に豊臣)が光秀軍を破り、逃げた光秀は落ち武者狩りの農民に襲われ傷を負います。
最期は家来に介錯を頼み果てます。光秀の遺言通りこの家来は「首」を知恩院に届けようとします。
しかし夜が明けてしまい、敵に「首」を奪われるのを避けるため土の中に埋めたとされます。
上の写真の祠↑↑↑の場所に「首」を埋めたというよりは、実際は埋められていた首をここの祠に移したみたいです。
でも、「光秀の首塚」と呼ばれる場所はここを含め全国に三か所あるそうです。
ですのでこの祠に「光秀の首」があるのかどうかは定かではないようですね。
ただ「餅寅」さんが大切に祠を代々守ってきたことは確かなようです。
でも店主のお話によると、ご近所さんでもこの「光秀の首塚」の存在を知らない方がいっらしゃるようです。ちょっと寂しいなって僕は思いました。
「光秀まんじゅう」が登場したのはここ40年くらいのことで割と最近のようです。
周りから「作ったらどうや」という要望が高まり、販売に至ったそうです。
「餅寅」は知恩院、平安神宮、八坂神社にも近いです。
京都でお近くに観光の際はお立ち寄りいかがでしょうか?
【餅寅】
・餅寅 – 東山/和菓子 | 食べログ (tabelog.com)
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