京都の人は、お盆の時、「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ/ろうくどうちんこうじ)」へ「六道まいり」に来ます。
「六道まいり」では「迎え鐘」を鳴らします。
「迎え鐘」とは、お盆(13日~16日:期間や時期は地方によって違うようです)に、ご先祖様がお家に戻って来るための「合図」のようなものです。
お堂から出ている綱を引っ張ると、中にある鐘が鳴ります。その鐘の音は、ご先祖様がいる冥途に響き渡るといわれています。
その鐘を聞いたご先祖様が「おっ今、鐘鳴ったな!じゃあ子孫のところにいっちょ行ってやるとするか!!」ってな具合で、地上に降りて、お盆を家族と一緒に過ごすのです♪
僕も「迎え鐘」を突かせてもらいました。
響きはよくって、地を鳴らす感じに聞こえました。本当に、あの世まで届いて、響く気がしました。
そして、僕の亡くなった両親のところに「鐘の響き」が届いた気がしました。僕は、久しぶりに両親と会えた気がしました。
ちょっと、感動しました。
たぶん両親は「あんた、ちょっと太ったんじゃない!?痩せなあかんよ」なんて言ってた気がします。いつも両親には叱られてばかりです(笑)。
朝早い人気のない時間に行ったので、お寺の方が、「写真撮ってあげましょうか?」と僕に言ってくれました。t僕は、お言葉に甘え、写真を撮ってもらいました。写真は、僕が鐘につながった綱を引いているところです。
ちなみに、お堂の中に何が入っているのかは、ご住職以外知らないと、そのお寺の方は言っていました。
どうも中は「秘密の空間」のようです。
それは、きっと、あの世とこの世をつなぐ「異空間」であるに違いない、と僕は思います。
「六道まいり」の「六道」とは、「天界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」のことです。
仏教の考えにおいて、人は悩みや困難を抱えている限りは、死後もこの「六道」のうちのどれかの世界に行って、そしてまた生まれ変わる、いわゆる「輪廻転生」を繰り返すといわれています。
しかし、悟りに達すれば、もう「輪廻転生」することはないそうです。その時、きっと人は、本当の「安らぎ」を感じるのかな?っと思いました。
少なくとも、僕が今この世にこうやって生きているってことは、僕は誰かの生まれ変わりであり、その誰かが前世で、解決できなかった「課題」を、僕がこの世で、「解決」するために生きているのかな、なんて思います。
では、今僕が「生きている意味」とか「使命」は何なのでしょうか?
僕の場合は、きっと「仲のいい家族」を作ることが、僕の「使命」である気がしています。美味しいハンバーグを作るためにかかせない「つなぎ」の役割なのだと思っています。
六道珍皇寺にて。
【六道珍皇寺】
拝観・アクセスなどは公式ホームページをご確認下さい→大椿山 六道珍皇寺 公式サイト (rokudou.jp)
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