今朝、久しぶりに高野川のゴミ拾いをしました。ここ最近ゴミ拾いをしていませんでした。しかし、毎朝高野川沿いを散歩していたら、あまりにもたくさんのゴミが目につきました。あまりにもあまりだったので、今朝思い立ってやってみました。
あっという間にゴミ袋2つ分のゴミを回収しました。
ゴミは特に、橋の下に多く落ちていました。橋の下は暗いです。人目につきにくい場所です。だからなのか、ゴミを捨てやすいのでしょうか?この環境がゴミを捨てる人の罪悪感を軽くするのでしょうか?そもそもゴミを捨てることに罪悪感があるのなら、最初から捨てないのでは?とも思いました。
橋の下は砂地になっています。そこにアオサギの足跡(たぶん。カラスにしては大きいと思いました)がついていました。捨てられたゴミの間を、アオサギが歩いていた、そんな光景を思い浮かべました。思い浮かべたら、僕は悲しい気持ちになりました。
Ce matin, j’ai ramassé des ordures ou des déchets jetés sur le lit à sec de la rivière Takano. J’ai récupéré pour deux sacs. Surtout, il y avait pleine d’ordures au dessous de pont. Là où je suis tombé sur des pas d’un oiseau (peut-être d’un héron cendré). J’ai imaginé que le héron cendré marchait autour des ordures jetées. Cela m’a rendu triste.
Mes clients disent souvent qu’au Japon ou à Kyoto, c’est propre sans ordures. Oui, c’est vrai, surtout dans les temples bouddhistes ou dans les sanctuaires shinto par exemple. Car ce sont les endroits sacrés où on croit qu’il y a les divinités ou les bouddhas. On croit que si on jète des ordures là, on sera puni par eux.
Mais, en réalité, il y a des ordures ou des déchets jetés malheureusement dans la nature. Je pense que la nature est aussi sacrée et l’endroit où la divinité pose. Il semble que nos ancêtres y croyaient, mais les gens actuels ne semblent pas y croire.
橋の下の砂地には、セキレイやハトも見ます。川では、カワセミ、カモ類、サギ類など、いろんな鳥たちがたくさんいます。鳥たちや魚、植物などの生き物たちが住みやすいであろう環境、ゴミのない環境、僕はそれがいいです。人にとっても、ゴミのない環境は、気持ちがいいと、僕は思います。
京都をガイドしていると、必ずと言っていいほどお客さんにいわれることがあります。それは、「日本って、ゴミが落ちていなくてきれいだね」って。お客さんの気持ちよさそうなお顔を見るたび、僕は嬉しく思います。
お客さんの国(フランス、スイス、ベルギーなど)では、町にはゴミがよく落ちているそうです。それに比べたら、日本は、京都は、きれいかも。寺社仏閣などの神聖な場所は特にゴミはほとんど落ちていないと思います。
でも、落ちている所にはゴミは落ちています。それが現実です。川では、捨てられるゴミと同時に、流されてくるゴミもあります。
川も自然も神様が宿る神聖な場所だと、僕は思います。決して「ゴミ箱」ではない。
川沿いのベンチの上にもよくゴミが置いてあります。持って帰って!

ゴミを捨てなければ、ゴミは落ちない。ただそれだけのこと、なのに。
アオサギの目には、落ちているゴミがどう映っているんでしょうか? 僕は一度聞いてみたいです。
